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東京高等裁判所 昭和55年(行コ)24号 判決 1983年2月28日

控訴人(原告) 朴永順

被控訴人(被告) 国

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の申立

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は、控訴人に対し金六一〇万円及びこれに対する昭和五二年七月七日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、主文と同旨の判決を求めた。

第二当事者の主張

当事者双方の事実上及び法律上の主張は、次のとおり付加又は削除するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する(ただし、「株式会社協力会」とあるのは、「株式会社協力舎」と訂正する。)。

一  1 原判決四丁表四行目の「原告は」から同丁裏一行目までを削除し、そのあとに「面接のため会社へ行く前控訴人は池袋職安の佐藤指導官より説明を受けて仕事の内容を承知していた。会社での面接の際、仕事の内容や労働条件についても、話題になつた。控訴人の方から「韓国人は採用しますか。」と質問したことはない。控訴人から「全日自労に加入していること、どうしてもといわれるなら、永田精機労働組合にも入る意思がある。」旨を告げると、会社の面接担当者は、「会社にも労働組合があるので、全日自労に入る必要はない。両方の組合に入るのは駄目だ。」と答えた。控訴人は、「有給休暇などについて労働協約を結んでほしい。」旨の希望を述べた。面接担当者は、会社と相談して返事をすると述べたが、控訴人が全日自労と同社の労働組合との間で協約締結を希望しているものと誤解し、そのようなことは同社と直接の関係がないと考え、また、控訴人が一見ひ弱にみえたため、控訴人を不採用とした。なお、当時、控訴人は、永田精機株式会社と同社労働組合とは労働協約を結んでおり、かつ、ユニオンシヨツプ制をとつていると聞いた。」を付加する。

2 同四丁裏末行の「原告が」から五丁表四行目までを削除し、そのあとに「控訴人が就業規則の有無、勤務時間その他の労働条件について質問したところ、面接担当社から「日曜日働いて月曜日が休日であること、有給休暇はない。」という説明があつた。なお、同社の求人票(甲第三三号証)の備考欄には「規則有り、休暇有り、作業衣有り、給料二四日支給」とあるが、有給休暇有りとは書いてない。控訴人は、全日自労に入つていること、有給休暇について労働協約を結んでほしい旨の要望をしたところ、面接担当者は、「上司と相談してから返事をする。」と答えた。後に池袋職安の佐藤指導官は、「協力舎は組合がなくても朴さんは組合があるから、労働協約を結ばなくてもいいじやないか。」といい、控訴人は、「組合と相談してみる。」と答えた。控訴人は、組合と相談したが、有給休暇がないままでは困るので、返事を待つていたところ、同社からは控訴人にも池袋職安にも連絡がなく、池袋職安から同社へ連絡が入り、同社は、「控訴人から協力舎へ連絡がない。」という理由で不採用とした。」を付加する。

3 同七丁表四行目の「原告は、」から同丁裏末行目までを削除し、そのあとに次のように付加する。

「控訴人は、被控訴人の公務員である池袋職安所長のした違法な本件処分により合計六一〇万円の得べかりし利益を喪失し、同額の損害を被つた。その内訳を示せば、次のとおりである。

(1)  原判決添付別紙逸失利益算定表番号1から14までの小計五六七万八、五四五円

(2)  同算定表番号15のうち昭和五二年四月一日より同一〇月三一日までの七か月間の小計三八万五、六一六円

(3)  同算定表15のうち昭和五二年一一月一日より同月三〇日までの五万五、〇八八円のうち三万五、八三九円

(4)  仮りに右(1)ないし(3)のうち損害の認定のできない部分がある場合には、同算定表の昭和五二年一一月分の残、及び同年一二月分以降合計金額六一〇万円に充つるまで順次繰り入れる。」

4 同八丁表三行目の「認めるが、」の次に「その余の事実は、否認する(もつとも、「控訴人が永田精機株式会社へ行く前に佐藤指導官から説明を受けて仕事の内容を承知していた。」との事実が単に会社側の求人条件と控訴人が従事する仕事の種目を求人票に基づいて佐藤指導官から告知されたということであるならば、これを認める。)。」を付加する。

二  控訴代理人は、次のとおり述べた。

1  控訴人は、就職面接の際、労働協約の締結にのみ固執していたわけではない。永田精機株式会社に関しては、控訴人は、全日自労の組合員であることに否定的な意見をきかされており、特に朝鮮人として過去においてさまざまな差別や不利益を受けて来たので、全日自労が自分の労働条件について同社と十分話し合つて欲しいと願つたのであつて、このことは、控訴人にとつて当然の要求である。もし労働協約締結の要求が不当なものであるというのなら、池袋職安の係官は、何故にそのような場合における失業者の在り方について正しい指導を行なわなかつたのか。控訴人が労働協約の締結を要求することや、全日自労に属していること、更に労働組合があるかどうかを話題にし、労働条件を細かく質問することが就職につき誠実かつ熱心でないという評価になるのであれば、労働者の権利はどこにあるのかを強調したい。労働者の働く権利とは、労働者が憲法以下諸法令に基づく権利を正当に守られる状態で働くことが保障されねばならず、そのことが権利の内実となつていなければならない。

2  原判決は、控訴人が池袋公共職業安定所長から旧職安法第二七条第一項の認定を受けた昭和四四年六月一一日から同項の指示を受けた同年一〇月九日までの期間における株式会社大沢製作所、中央発送株式会社、宮武工業株式会社及び日駐不動産株式会社の、控訴人に対する不採用の事実をもしんしやくして、本件処分の適否を判断しているが、本件処分の基礎となつた事実は、被控訴人も主張するように、同法第二七条第一項の指示がなされた日以後における永田精機株式会社、大徳時計工業株式会社及び株式会社協力舎の、控訴人に対する不採用に関するものである。したがつて、右の指示以前における控訴人の態度をしんしやくすることは、不当であるばかりでなく、仮りに控訴人の態度につき原判決の説示するような就職意欲の欠如がみられるならば、池袋職安所長も前記指示を控訴人にする筈がないのであるから、この点に関する原判決の判断は、形式的な独断と偏見であるといわざるを得ない。

三  被控訴代理人は、次のとおり述べた。

1  我が国の失業対策事業(以下「失対事業」という。)は、緊急失業対策法(以下「失対法」という。)に基づき、昭和二四年ドツジ・プランによる急激な経済政策の転換によつて生じた大量の失業者の発生に対応するための緊急措置として発足した。失対事業は、失対就労者の生活の安定に大きく貢献する一方で、作業能率の低さや、失対就労者の増加による財政的負担の増大、また、失対就労者の固定化による正常な事業運営の阻害が次第に問題になつてきた。更に、昭和三〇年代の高度経済成長期に入つて雇用失業情勢が好転しても、失対就労者がなお増加の一途をたどつていたため、昭和三八年雇用審議会の答申等を踏まえ、職安法及び失対法の一部改正を行なつて、失業対策全般からの抜本的な改善を行うことになつた。改正法では、就職が特に困難な中高年令失業者等に対して、ケース・ワーク方式による職業指導、職業訓練等の手厚い再就職の促進措置と手当を支給しながら実施し、常用就職の促進を図ることとなつた(旧職安法二九条)。一方、失対事業に就労する失業者については、以後この就職促進措置を受け終つてもなお就職することができず、かつ、引き続き、誠実かつ熱心に求職活動をしているものに限ることになつた(失対法一〇条二項)。この改正に対し、失対就労者で組織している団体で最大の全日自労では、組合員の減少は組織の崩壊につながるとして失対事業への就労を促進するための闘争(以下「失対流入闘争」という。)を全国的に展開していた。そして、多数による威圧等を含むあらゆる手段をもつて、激しい運動を続け、失対就労者の維持拡大を図ろうとしたのである(乙第九号証)。全日自労池袋分会においても、求職者を集めて、それらの求職者が失対事業に就労できるようにするには如何にしたらよいかということを前提に学習会を開き、求職者に求職闘争の手段を教育指導していた(乙第八号証、第一〇号証)。そして、指導を受けた求職者と全日自労の組合員とが連れ立つて池袋職安に押しかけ、同所の職員に不当な圧迫を加え、本来求職者個人について個別的にきめ細かに実施すべき職業相談を困難にし、また、池袋職安の正常な業務運営を阻害する行為をくり返し続けていた。

2  控訴人は、就職促進措置の指示を受けた後、池袋職安の紹介によつて永田精機株式会社の就職面接を受けた。この際における控訴人の態度は、原判決の認定のとおり全日自労との労働協約の締結要求を中心とした労働組合問題を話題にすることに終始したのである。もとより労働者が自らの労働条件について関心をもち、それに係る希望、要望を申し出ることは当然のことであるが、殊更にある特定の労働組合との協約締結に固執する態度は、一般の私企業が集団的労働関係について、とりわけ神経質になつている常態からして、私企業の容易に受けいれるところとならないことは、社会通念上明白なところである。控訴人は外国籍にあり、言葉並びに社会的処遇の上で不利益があることは否定し難いところであろうが、本件における控訴人の態度は、原判決も指摘するように極めて非弾力的であつて、就職促進措置の決定を受け、就職を目前に控えた者のとるべき態度ではない。このような控訴人の態度は、まさしく控訴人個人の就職意欲の欠如にあるものというほかはない、のみならず、控訴人は、就職面接の際、単に控訴人自身の知恵とも思えないメモを持参し、かつ、一方的な質問、要望の提出に終始したということは、控訴人に対する全日自労の強力な指導を推認せしめるものである。

3  控訴人は、原審から一貫して株式会社協力舎については年次有給休暇がないことを理由に、就職に当たつてその点について全日自労との労働協結を求め、その可否につき同社の回答を待つていた旨主張しているが、乙第一五号証によつて明らかなごとく同社には就業規則があり、これが適用されていたのであるから、仮りに面接担当者の国定熊義に面接の当日その日数についての誤りがあつたとしても、有給休暇が全くない旨の説明をする筈がない。いうまでもなく、年次有給休暇は、賃金及び労働時間に並ぶ労働条件であつて、労働基準法上もその付与が義務づけられているものである。にもかかわらず、控訴人から管理選考後に株式会社協力舎には有給休暇がない旨の報告を受けたと称する全日自労、或いは執行委員としてとりわけ控訴人について責任をもつていたとする社本富美子は、いずれもこの非合法ともいえる同社の説明なるものについて、同社に対してはおろか、監督機関である池袋職安に対してすら、質問、抗議などを行なつていない。しかも、控訴人及び右社本の認識によれば、同社は、いろいろの意味でいい職場であるとの共通の評価にあつたということであるから、何故に不審をただす努力をしなかつたのであろうか。控訴人の右主張が信用に値しない所以である。同社への就職が果されなかつた理由は、原判決の認定のとおり再三にわたつて担当官から注意を受けていたにもかかわらず、管理選考後、同社に連絡をとらなかつたという控訴人の投げやりな態度にあつたのである。そして、その背後には失対流入が果されれば、事足りるとの思惑があつたとみるほかはない。

第三証拠関係<省略>

理由

一  当裁判所も、控訴人の本訴請求は理由がなく、これを棄却すべきものと判断する。そして、その理由は、次のとおり付加又は削除するほかは、原判決の理由説示のとおりであるから、これをここに引用する(ただし、「株式会社協力会」とあるのは、「株式会社協力舎」と訂正する。)。

1  原判決一七丁裏四行目の「証人石橋」から九行目の「原告本人尋問」までを削除し、そのあとに「原審証人石橋清弘(第一回)の証言により真正に成立したものと認められる乙第一号証、官公署の作成部分につき成立に争いがなく、その余の部分につき原審証人小林恒雄の証言により各真正に成立したものと認められる乙第七号証の一、二、原審及び当審における証人佐藤安広、原審証人小林恒雄、原審(第一回)及び当審における証人石橋清弘の各証言並びに原審及び当審における控訴人の本人尋問」を付加し、同一八丁表六行目の「会社と」を削除し、同丁裏五行目の「会社として」から七行目の「したこと」までを削除し、そのあとに「全日自労と会社の労働組合との労働協約の締結の要求と誤解し、自分の一存では決めかねるという表現でこれを拒絶したこと」を付加し、同一九丁表三行目の「以上の」から六行目の「原告を不採用としたこと」までを削除し、そのあとに「控訴人が一見ひ弱そうにみえながら、こと全日自労との労働協約の締結については、かなり強い調子でこれに固執し、その要求に応じない限り、同社で働こうとする姿勢を示さなかつたことに強い不快感を覚え、控訴人には自ら進んで同社に就職する意思がないものと判断して、控訴人を不採用としたこと」を付加し、同丁表九行目の「原告本人尋問」から同丁裏一行目までを削除し、そのあとに「右認定に反する前記控訴人本人尋問の結果の一部は、上掲各証拠に対比してたやすく措信しがたく、他に右認定を左右するに足る証拠はない。」を付加する。

2  同二〇丁裏一行目の「そして、」から二一丁表一〇行目の「原告は、」までを削除し、そのあとに「原審証人石橋清弘(第一回)の証言により真正に成立したものと認められる乙第三号証、当審証人石橋清弘の証言により真正に成立したものと認められる乙第一四号証、当審証人国定熊義の証言によつて真正に成立したものと認められる乙第一五号証、原審証人吉田昭一(第一回。ただし、後記信用しない部分を除く。)、原審及び当審における証人国定熊義(ただし、後記信用しない部分を除く。)、同佐藤安広、原審(第一回)及び当審における石橋清弘の各証言、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果(ただし、後記信用しない部分を除く。)によれば、右面接に参加した求職者は、控訴人を含め九名であつたこと、求人側の株式会社協力舎からは同社池袋出張所の臼井忠次、国定熊義の二名が採用面接担当者として出席し、求職者一人ずつと個別に面接し、会社の賃金の内容、勤務時間、有給休暇等についての説明をしたが、このうち有給休暇については、右国定が就業規則を持参しなかつたこともあつて、一通りの説明をするにとどめ、主として同社の仕事の内容、賃金、勤務時間、日曜日に出勤し月曜日に休むという勤務形態等について説明をし、質問のやりとりがあつたが、結局、求職者のうち条件の合つた斉藤良子一人がその場で採用になつただけで、控訴人を除く他の七名は、就職を希望しなかつたこと、控訴人は、他の求職者と異なり、こまかな労働条件について余り質問をすることもなく、もつぱら入社後においても自己の全日自労の組合員としての地位を認めてもらいたいこと及び労働条件について会社と全日自労との間で労働協約を締結してもらいたいことを強く希望したこと、このため右臼井及び国定は、全日自労に関する控訴人の希望については、上司に相談してみると聞き流し、就職の希望があるならば、後で会社に連絡するようにと述べたこと、控訴人は、」を付加し、同二一丁裏五行目の「証人吉田昭一」から六行目の「結果」までを削除し、そのあとに「右認定に反する前記証人国定熊義の証言の一部は、上掲各証拠に照らし、たやすく措信しがたい。また、原審証人吉田昭一の証言(第一、二回)及び前記控訴人本人尋問の結果」を付加し、同丁裏九行目の「供述部分は、」の次に「上掲各証拠と対比して」を付加する。

3  同二二丁表四行目の「ところで、」から同丁表末行目までを削除し、そのあとに「右認定事実に徴すると、大徳時計工業の場合はともかく(同社の控訴人に対する不採用は、控訴人の思想傾向を理由とするものであるから、控訴人の就職意欲の有無を問題とする余地がないことが、明らかである。)として、永田精機株式会社及び株式会社協力舎の場合における控訴人の前記態度は、就職を目前に控えた措置対象者のそれとしては、いかにも常識に欠けていることが窺われるのであつて、右事実と後記認定の池袋職安と全日自労との対立関係に関する事実及び次に認定する措置対象者の認定後就職指導措置の指示がなされるまでの間における控訴人の就職活動状況に関する事実とをあわせ考えると、控訴人は、全日自労の組合員として、いわゆる失対流入闘争に参加し、全日自労の指導の下に要求する自己の条件を求人側の会社が受けいれなければ就職する意思を有しなかつたことが推認されるのであつて、右事実によれば、控訴人は、後記のとおり永田精機株式会社及び株式会社協力舎に対し自ら進んで、速やかに就職しようとする意欲に欠けていたものと解するのが相当である。ところで、右認定後、右指示がなされるまでの控訴人の就職活動状況は、次のとおりである。」を付加する。

4  同二三丁表九行目の「(第一回)」の次に「当審証人社本富美子」を付加する。

5  同二七丁裏五行目の「ことになるが、」の次に「当審証人石橋清弘の証言によれば、控訴人は、右認定の当時も就職意欲の点で問題があつたが、措置対象者の認定を受ければ、その態度も改まるものと期待されて、右認定がなされたことが窺われるから、」を付加する。

6  同二八丁表三行目の次の行に次のとおり付加する。

「控訴人は、本件処分の適否の判断につき前記認定がなされた昭和四四年六月一一日から前記指示がなされた同年一〇月九日までの控訴人の就職活動状況をしんしやくするのは不当である旨るる主張するけれども、この間における控訴人の就職活動状況を永田精機株式会社及び株式会社協力舎に関する控訴人の就職意欲の認定のための間接事実として利用することは、何らさしつかえないものというべきであつて、控訴人の右主張は、採用できない。」

二  そうだとすれば、池袋職安所長のなした本件処分は、適法であるから、その違法なことを前提とする控訴人の本訴請求は、その余の点について判断を加えるまでもなく、理由がないから、失当として棄却すべきである。したがつて、右と同趣旨に出た原判決は、正当である。

三  よつて、本件控訴は、理由がないから、棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法第八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 川上泉 吉野衛 山崎健二)

参照

原審判決の主文、事実及び理由

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(原告)

一 被告は原告に対し一二七〇万七四七二円及びこれに対する昭和五二年七月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二 訴訟費用は被告の負担とする。

三 仮執行の宣言

(被告)

主文同旨

第二当事者の主張

(原告の請求原因)

一 原告は、明治四三年生まれの朝鮮人であり、昭和二八年頃から、日雇労働者及び失業者を中心に組織されている全日本自由労働組合(以下「全日自労」という。)に加入して失業対策事業(以下「失対事業」という。)に就労していたが、その後離職し失業した。原告は、昭和四三年一二月二六日、池袋公共職業安定所(以下「池袋職安」という。)に求職の申込をし、さらに、昭和四四年五月八日、原告の当時の住所を管轄する池袋公共職業安定所長(以下「池袋職安所長」という。)に対し職業安定法(ただし昭和四六年法律第六八号による改正前のもの。以下「旧職安法」という。)第二章の二に定める中高年齢失業者等に対する就職促進措置の適用に関する認定を申請し、同年六月一一日池袋職安所長から同法二七条一項に基づき右就職促進措置を受ける必要があるとの認定(以下「措置対象者の認定」という。)を受け、続いて同年一〇月九日には池袋職安所長から六か月の期間を定めて就職促進措置の一つである就職指導を受けることを指示され、以後同法二九条による手当を受給しながら就職指導措置を受けていた。ところが、池袋職安所長は、同年一一月二九日、原告に自ら進んで速やかに常用雇用の職場に就職しようとする意欲が認められないとの理由で同法二七条二項、同法施行規則二〇条四項四号により原告に対する前記措置対象者の認定を取り消した(以下「本件処分」という)。

二 しかしながら、本件処分は、以下に述べるとおり違法なものである。

1 原告に自ら進んで速やかに常用雇用の職場に就職しようとする意欲がないとした認定は誤りである。

原告は、喘息の持病があり、また、バスに乗ると気持が悪くなるため、池袋職安に求職申込をするにあたつては、一時間以内の通勤時間、軽作業、月額三万円から三万五〇〇〇円位の賃金及び朝鮮人であることで差別されることがないといつた条件を希望した。そして、本件処分を受けるまでの間、原告は、池袋職安から紹介されたいくつかの就職先について就職の意欲をもつて応じたが、条件が折り合わなかつたり、原告の芳しくない身体状況が原因となつたりして、いずれも採用されるに至らなかつたものである。このことを本件就職指導措置の指示があつた昭和四四年一〇月九日以降の事例について詳述すると、次のとおりである。

まず、同月二七日に雑工として紹介された永田精機株式会社については、原告は同社に就職する意欲を持つて面接を受け、入社後も全日自労の組合員としてとどまる旨並びに原告の労働条件について全日自労と労働協約を締結してもらいたい旨希望を述べたところ、同社の面接担当者は、原告が全日自労と同社の労働組合との間での協約締結を希望しているものと誤解し、そのようなことは同社と直接の関係がないと考えたか、あるいは原告が一見ひ弱に見えたためか、適当な口実で原告を不採用とした。

また、同年一一月七日に雑工として紹介された大徳時計工業株式会社については、同社の面接担当者は、原告の就職意欲を認めながら、原告が朝鮮総連を支持する旨発言したのを「ソ連」支持と聞き違え、原告の右思想を理由として不採用とした。

さらに、同月一七日に清掃婦として紹介された株式会社協力会(デパート内の清掃作業請負会社)については求人側と複数の求職者とが池袋職安に集まり同職安のあつせんを受けるという管理選考方式が実施され、その際原告が前記永田精機株式会社の場合と同じような希望を述べたところ、同社の担当者がその点については上司と相談して返事をするということであつたので、原告は右希望が容れられれば同社に就職するつもりで返事を待つていたが、何の連絡もなかつたのである。

このように、原告は、結果的には紹介先に就職できなかつたものの、就職の意欲は十分に有していたものである。原告が面接の際に、就職後も原告の全日自労の組合員としての地位が保障されること並びに労働条件について全日自労との間に労働協約を締結してもらうことを希望したのは、労働者としての当然の基本的な権利であり、このような希望を述べたことをもつて誠実かつ熱心に求職活動をしていないと評価することは許されない。

2 のみならず、池袋職安所長が本件処分をしたのは、失対事業を縮少廃止し、かつ、全日自労を破壊するという不当な意図によるものである。

戦後の失業者の大量発生に対応して緊急失業対策法(以下「失対法」という。)が制定され、失対事業が行なわれてきたが、昭和三〇年過ぎ頃から企業の生産性が拡大してきたことに伴い、失業者が失対事業へ流入するのを阻止して民間の低賃金労働者として再編成しようとする動きが強まる一方、これと並んで、かねてから日雇労働者及び失業者の労働条件の改善のため活発な運動を展開してきた全日自労の活動を抑圧しようとする政策がとられるようになつた。昭和三八年に行なわれた失対法及び職安法の改正はこれに呼応したものであり、この改正により本件で問題となつている中高年齢失業者等に対する就職促進措置の制度が設けられ、失業者は右就職促進措置を受け終わらなければ失対事業に就労できないこととなつた。しかも、各地の公共職業安定所では、右措置を受けるための前提となる失業者からの求職申込自体を受理せず、また、右措置の適用に関する認定の申請用紙の交付を拒否したりしたため、右制度の運用面からも失対事業就労が困難となつた。そのほか右改正では、失対事業主体に運営管理規程を定めることを義務づけ(失対法一一条)、その中でいくつかの変更できない条項を定めて、従来失対事業で行なわれてきた就業規則、労働協約及び労使慣行を破棄させ、また、各失対事業主体が独自の予算の中から失対事業就労者に支出していた上積み賃金を廃止させ、さらに、団体交渉権の否認、体力検定の強化、監督制の強化、労働大臣が決定権を有する賃金の低額な定め、所得額による失対事業就労制限が実施され、これによつて失対事業就労者を失対事業から離脱せしめ、かつ、失対事業から全日自労の影響力を排除しようとした。池袋職安においても、このような失対事業への流入阻止及び全日自労に対する不当な攻撃が行なわれてきたのであり、本件処分はこのような目的のために故意になされたものである。

三 原告は、被告の公務員である池袋職安所長のした違法な本件処分により、左の1及び2の合計一二七〇万七四七二円の損害を被つた。

1 逸失利益 一一七〇万七四七二円

本件処分がなければ、原告は、就職指導措置を受け終る昭和四五年四月八日まで旧職安法二九条により就職指導手当の支給を受け得たものであり、仮りに、右措置期間終了前に常用雇用の職場に就職しても右手当を下回らない賃金を得たはずである。さらに、右期間終了後は当然に失対事業に就労して失対就労賃金を得たはずであり、仮りに、常用雇用の職場に就職したとしても右額を下回らない賃金を得たはずである。本件処分によつてこれらの得べかりし利益がすべて失われた。したがつて、原告の逸失利益は、原告が七二歳余に達する昭和五八年三月末日まで就労可能として計算すると、別紙のとおり一一七〇万七四七二円となる。

2 慰謝料 一〇〇万円

本件処分により原告が被つた精神的苦痛に対する慰謝料である。

四 よつて、原告は、国家賠償法一条に基づき、被告に対し原告が被つた右損害の賠償とこれに対する不法行為後である昭和五二年七月七日から支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払うべきことを求める。

(請求原因に対する被告の認否)

一 請求原因一の事実は認める。

二 同二1のうち、昭和四四年一〇月二七日原告を永田精機株式会社に雑工として紹介したところ、全日自労の組合員としての地位の保持及び全日自労との労働協約の締結を求め、不採用となつたこと、同年一一月七日雑工として紹介した大徳時計工業株式会社も不採用となつたこと、同月一七日株式会社協力会に清掃婦として紹介し管理選考が行なわれたが、原告において永田精機株式会社の場合と同様の要求を出し、不採用となつたことは認めるが、原告が右三社を含めた紹介先に就職する意欲があつたとの点は争う。

同二2のうち、失対法及び職安法の改正は認めるが、その余は争う。

三 同三は争う。

(被告の主張)

一 本件処分に至るまでの経緯

1 原告は、昭和四三年一二月二六日池袋職安に求職申込をして以来昭和四四年六月一一日に措置対象者の認定を受けるまでの間、十数回にわたり全日自労の役員らと共に池袋職安に来所し、その都度同職安での職業相談、職業指導を受け、いくつかの就職先を紹介されたが、雑役程度の軽労働を希望しながら、当時の平均賃金以上の賃金を要求してこれに固執し、「賃金が安すぎる」、「勤務時間や作業内容等の労働条件が自己に適していない」、「通勤に時間がかかりすぎる」、「バスに酔う」などの理由で紹介を拒否したり、たえず希望条件を変更するなど、通常の就職希望者と異なる態度が見られた。この間に原告が雑役婦として紹介に応じたのが丸福運輸倉庫株式会社、東京基準寝具株式会社及び菊地食品株式会社の三社であつたが、丸福運輸の場合は、賃金が当時の水準を大幅に上回り原告の希望額に見合うものであつたにもかかわらず、一時間程度の通勤が困難であるとして辞退し、東京基準寝具の場合は、同社が日給制を採つているのに、原告が月給制を主張したため不採用となり、また、菊地食品の場合は、原告の体格が劣ること及び労働経験の乏しさから採用が実現しなかつた。

そこで、池袋職安所長は、原告に対し、速やかに常用雇用の職場に就職しようとするなら自己の希望条件だけに固執せず相手方の立場も考慮して歩みよるようにと再三にわたり指導したうえ、昭和四四年六月一一日原告について措置対象者の認定を行ない、原告の就職に一段と力を入れた。

2 右認定の後同年六月二七日に、原告は、株式会社大沢製作所へ掃除婦として紹介され、同年七月一日右会社から採用通知を受けたが、風邪のため静養しているとして右会社に何の連絡もしないまま放置した。これを知つた池袋職安担当官は、同月一八日原告に対し、採用決定はまだ変更されていないので右会社と早急に連絡をとるように指示したが、原告は、同月二三日まで連絡をとらなかつたので、右会社は、原告が就職を辞退したものとして他の人を採用し、原告の採用を取り消した。

3 同年八月末頃まで、原告は、めまいや皮膚病等に罹つたとして、毎週金曜日と定められている定期出頭日に池袋職安に出頭しないことが多かつた。健康回復が確認された後の同年九月九日、池袋職安所長は、原告を中央発送株式会社に包装工として紹介したところ、原告は、通勤途上の事故について会社が責任をもつこと並びに自己の労働条件について全日自労と労働協約を締結することを要求したため、不採用となつた。

4 同年九月二四日、原告は、宮武工業株式会社へ雑用工として紹介されたが、同会社での仕事は製品検査などの作業をすることであつたところ、原告が掃除や雑用などの作業を希望したため、採用に至らなかつた。

5 同月二六日、原告は、日駐不動産株式会社に清掃婦として紹介されたが、労働条件について全日自労と労働協約を締結してもらいたい旨を主張したため、不採用とされた。

6 右のように紹介と不採用とが繰り返されている間に、原告が指定された出頭日に池袋職安へ出頭しなかつたり、その他の指示に従わないこともあつたので、同年一〇月、池袋職安担当官は原告に対し、(1)出頭日、出頭時間を厳守すること(2)出頭できない場合には前日に同職安に申し出て指示を受けること(3)自分自身でも積極的に就職できるように努力することなどを厳しく指導し、池袋職安所長は同月九日原告に対し就職指導措置を受けるべきことを指示した。したがつて、原告は、右措置の実施に当たる職員の指導又は指示に従うとともに、自ら進んで速やかに職業につくことに努めなければならないこととなつた(旧職安法二八条二項)。

7 同月二七日、原告は、雑工として永田精機株式会社に紹介されたが、労働条件について全日自労と労働協約を締結してもらいたいとの条件に固執し、同会社に就職しようとする真摯な態度が認められなかつたため、不採用となつた。

8 同年一一月七日、原告は、雑工として大徳時計工業株式会社に紹介されたが、面接時の言動に就職しようとする意欲がみられず、発言内容に思想的にも疑問があるとの理由で不採用となつた。

9 同月一七日、原告は、清掃婦として株式会社協力会に紹介され、管理選考方式で採用面接を受けた。その際、原告は、他の求職者と違つて、労働条件の内容についてはあまり関心をみせず、全日自労の組合員としての地位の保持及び全日自労との労働協約の締結に強くこだわり、右会社から、就職希望があれば連絡するように指示されたのに、何らの連絡もしなかつたため、就職希望がないものとして不採用とされた。

10 以上のとおり、池袋職安所長は原告の希望や身体状況等を勘案して職業紹介を重ねたが、原告は、雇入先において原告の全日自労の組合員としての地位が保持されること並びに原告の労働条件について全日自労との間に労働協約を締結することに固執したことにより、就職することができなかつた。これらの事例のうち原告が就職指導措置の指示を受けた後の右7、8、9の事例は、前述した就職努力義務に違反するものである。そこで、右の三事例を基礎として判断すれば、原告には自ら進んで速やかに常用雇用の職場に就職しようとする意欲が認められないものというべきであるから、本件処分は適法である。

二 原告の損害に関する主張は左のとおり失当である。

1 昭和四五年四月八日までの逸失利益について

就職指導措置の指示を受けていても、常用雇用の職場に就職すれば、その時点で旧職安法二九条の就職指導手当の支給は打ち切られるものである。したがつて、本件処分がなければ右措置期間の終了する昭和四五年四月八日まで就職指導手当が支給されるはずであつたことを前提とする原告の主張は、失当である。

原告は、措置期間満了前に常用就職をした場合には少なくとも就職指導手当額を下回らない賃金を得たはずであると主張するが、原告のように誠実かつ熱心に求職活動をしていない者が常用就職をすることはあり得ないから、右主張も前提を欠き失当である。

2 昭和四五年五月一日以降の逸失利益について

失対事業に就労するには、就職促進措置を受け終わつただけでは足りず、その後引き続き誠実かつ熱心に求職活動をしていて、職安所長から失対事業紹介対象者としての適格を有するとの新たな裁量判断を受けて紹介されることが必要であり(失対法一〇条一項、二項)、しかも、そのうえで失対事業主体から失対事業就労適格を有しているとの判断を受けなければならない。しかるに、原告は、常用雇用の職場に就職しようとする意欲に欠けているから、失対事業に紹介されることはあり得ない。したがつて、本件処分がなければ昭和四五年五月一日以降当然に失対事業に就労できたはずであるとの立論を前提とする原告の主張は失当である。

(被告の主張一に対する原告の認否)

一 被告の主張一1のうち、原告が求職申込以来措置対象者の認定を受けるまでの間に池袋職安で職業相談をし、就職先を紹介されたこと、右紹介に応じた丸福運輸倉庫株式会社、東京基準寝具株式会社及び菊地食品株式会社には就職することができなかつたこと、原告が措置対象者の認定を受けたことは認めるが、その余は争う。

二 同2は認める。

三 同3は認める。

四 同4のうち、不採用の理由は不知、その余は認める。

五 同5は認める。

六 同6のうち、被告主張のとおりの指導及び就職指導措置の指示があつたことは認める。

七 同7ないし9については請求原因二1に記載したとおりであり、就職しようとする態度、意欲がみられなかつたとの点は争う。

八 同10は争う。

第三証拠関係<省略>

理由

一 請求原因一の事実は当事者間に争いがない。右事実によれば、原告は、本件就職指導措置の指示を受けたことにより、自ら進んで速やかに職業につくことに努めなければならないこととなつたものである(旧職安法二八条二項)。

二 そこで、右指示を受けた後において原告には自ら進んで速やかに常用雇用の職場に就職しようとする意欲が認められないとした本件処分の認定の当否について検討する。

1 まず、右認定の根拠とされた右指示後の就職活動の状況は、次のとおりである。

(永田精機株式会社関係)

原告が昭和四四年一〇月二七日池袋職安から雑工として右会社に紹介されたが、面接の結果不採用となつたことは、当事者間に争いがない。

そして、成立に争いのない甲第二三号証の二、証人石橋清弘(第一回)の証言により真正に成立したと認められる乙第一号証、官公署作成部分につき成立に争いがなく、その余の部分につき証人小林恒雄の証言により真正に成立したと認められる乙第七号証の一、二、証人佐藤安廣、同小林恒雄、同石橋情弘(第一回)の各証言及び原告本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く。)によれば、採用面接時間は約三〇分程であつたが、原告は、面接開始早々から、メモを見ながら、採用面接担当者に対し、「自分は朝鮮人であるが構わないか」、「賃金が他社より低いのではないか」、「生理休暇及び有給休暇はあるか」、「就業規則はあるか」、「自分は入社後も全日自労の組合員でいるが構わないか」、「会社に労働組合はあるか」、「原告の労働条件について会社と全日自労との間で労働協約を締結してもらいたい」などの質問や要望を一方的に続けて発し、右会社の面接担当者がこれに応答する状況であり、面接担当者の方から原告に質問するいとまがほとんどないまま時間が経過したこと、原告の右質問に対し面接担当者は「国籍は問わない」、「生理休暇は月二日、有給休暇は入社後一年経過後に年間六日、それ以後は一年に一日の割合で増加する」、「就業規則及び労働組合は会社にある」などと答え、全日自労の組合員であるとの点についてははつきりした態度を示さず、また、全日自労との労働協約締結の要望に対しては、会社としてこれを認める考えは全くなかつたので、自分の一存では決めかねるという表現で消極的返答をしたこと、さらに、賃金に関しては、失業者で常用雇用の職場に就職した者の当時の賃金は月額二万円から三万円までが最も多いが、右会社の提示額は月額二万七〇〇〇円前後で相場より低いものではなかつたこと、右のような問答の間、原告からは、全日自労との労働協約の締結について強い調子の要望が出される一方、仕事の内容の詳細や自己の体力でこれをこなせるかといつたたぐいの質問は何もなかつたこと、右会社の面接採用担当者は、以上のような状況から、全日自労との間に労働協約を締結することに応じない限り原告は同社へ就職する意思はないものと判断し、原告を不採用としたこと、以上の各事実が認められ(原告が全日自労の組合員の地位の保持及び全日自労との労働協約の締結を求めたことは、当事者間に争いがない。)、原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信しない。なお、右会社がクローズドシヨツプ制を採用していた旨の証人吉田昭一の証言(第一回)も、証人小林恒雄の証言に照らし採用し難い。

(大徳時計工業株式会社関係)

原告が同年一一月七日池袋職安から雑工として右会社に紹介されたが、面接の結果不採用となつたことは、当事者間に争いがない。

そして、成立に争いのない乙第六号証の一、二、証人吉田昭一(第一回)、同佐藤安廣、同石橋清弘(第一回)の各証言及び原告本人尋問の結果によれば、右会社の採用面接担当者は、原告が面接中に朝鮮の本籍地のことに関連して「総連(朝鮮総連)」か「ソ連」かを支持するような発言をしたので、原告の思想傾向に疑問を抱き、不採用とすることとしたが、原告に対しては、前日の新聞広告による募集で一人採用し欠員がないから採用できない旨を告げたことが認められ、右のような思想傾向を不採用の理由とするはずがない旨の証人岡良一の証言部分は採用することができない。

(株式会社協力会関係)

原告が同月一七日池袋職安から清掃婦として右会社に紹介され、採用面接は求人側と求職側とが同職安に集まり同職安のあつせんのもとで受けるという管理選考方式で行なわれたが、その結果原告が不採用となつたことは、当事者間に争いがない。

そして、証人石橋清弘(第一回)の証言により真正に成立したと認められる乙第三号証、証人吉田昭一(第一回。後記措信しない部分を除く。)、同国定熊義、同佐藤安廣、同石橋清弘(第一回)の各証言及び原告本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く。)によれば、右面接に参加した求職者は原告を含め八名であつたこと、右会社の採用面接担当者は、求職者一人ずつと個別に面接し、各人に対し、まず同社の就業規則に基づき、会社の賃金の内容、勤務時間、有給休暇等について一通りの説明をしたこと、この説明に対し、他の求職者は多かれ少なかれこまかな労働条件について関心を示し真剣に質問したりしたが、原告は、そのような態度をあまりみせず、入社するについては自己の全日自労の組合員としての地位を認めてもらいたい旨並びに労働条件について会社と全日自労との間で労働協約を締結してもらいたい旨を希望したこと、このようなことから、右会社の面接担当者は、原告に他の求職者と異なる感じを抱いたものの、全日自労に関する右希望については上司に相談してみるといつて聞き流すにとどめ、原告を含む求職者全員に対し、就職の希望があれば会社に連絡をするように話したこと(右会社は右連絡があつた者について採否を決めるつもりであつた。)、原告は、全日自労と相談してみると述べて池袋職安から帰つたまま右会社及び同職安に対し何らの連絡もしなかつたため、就職を希望しないものとされて不採用となつたこと、以上の各事実が認められる(原告が全日自労の組合員の地位の保持及び全日自労との労働協約の締結を希望したことは、当事者間に争いがない。)。証人吉田昭一の証言(第一、第二回)及び原告本人尋問の結果のうち、原告が右会社に連絡をしなかつたのは右会社の面接担当者が全日自労に関する原告の前記希望について上司と相談した結果を原告に返事すると約束したので、その返事を待つていたものである旨の供述部分は、たやすく措信することができず、他に右連絡をしなかつたことについてやむを得ない事由があつたことを認めるに足りる証拠はない(原告が右会社の所在、電話番号等を知らなかつたとしても、池袋職安にきくなどの方法によつて容易にわかるはずである。)。

2 ところで、右に認定した三事例のうち、大徳時計工業株式会社の場合は原告の思想傾向を理由とした不採用であるから、これを判断の基礎とすることはできないが、他の二事例についてこれをいかに評価すべきかは当該事例だけでなく、それまでの間の経過をも併せ考慮したうえで決定する必要がある。そこで、原告に対する措置対象者の認定がなされてから就職指導措置の指示が行なわれるまでの間の原告の就職活動状況についてみると、次のとおりである。

(株式会社大沢製作所関係)

原告が昭和四四年六月二七日池袋職安から掃除婦として右会社に紹介され、同年七月一日採用通知を受けたが、風邪のため静養しているとして右会社に何の連絡もしないまま放置し、同月一八日池袋職安担当官から採用決定はまだ変更されていないから右会社に早急に連絡をとるよう指示されたのに、同月二三日まで連絡をとらなかつたので、就職を辞退したものとして採用を取り消されたことは、当事者間に争いがない。そして、原告が右のように連絡を遅延したことについてやむを得ない事由があつたと認めるに足りる証拠はない。

(中央発送株式会社関係)

原告が同年九月九日池袋職安から包装工として右会社に紹介されたが、通勤途上の事故について会社が責任をもつこと並びに原告の労働条件について全日自労と労働協約を締結することを原告が要求したため不採用となつたことは、当事者間に争いがなく、証人佐藤安廣の証言によれば、右会社は原告の右二つの要求を受け入れることができないとして不採用としたものであることが認められる。なお、証人吉田昭一(第一回)は、右会社の賃金が当初の求人条件より低かつた旨供述するが、採用しない。

(宮武工業株式会社関係)

原告が同月一四日池袋職安から雑用工として右会社に紹介されたが不採用となつたことは、当事者間に争いがない。そして、証人吉田昭一(第一回)及び同佐藤安廣の各証言によれば、右会社の雑用工の仕事はメツキ製品の検査や計量などであつたが、面接の結果原告は右仕事に向かないと判断されて不採用となつたものであることが認められる。

(日駐不動産株式会社関係)

原告が同月二六日池袋職安から清掃婦として右会社に紹介されたが、労働条件について全日自労と労働協約を締結してもらいたいと主張したため不採用とされたことは、当事者間に争いがない。もつとも、証人吉田昭一(第一回)及び同佐藤安廣の各証言によれば、原告は右会社への通勤が時間がかかり困難であるとしていたようであるが、弁論の全趣旨により成立を認める乙第五号証の一及び右証人吉田の証言(第一回)からすると、原告は当時練馬区旭丘に居住し西武池袋線江古田駅が最寄駅であり、右会社は国電新大久保駅から徒歩一五分ないし二〇分のところにあつたというのであるから、原告の年齢を考慮に入れても、通勤が時間的に困難であつたとは考えられない。

3 以上1及び2の事実によれば、原告は、措置対象者の認定を受けてから就職指導措置の指示を受けるまでの間に四か所の就職先を紹介され、うち一か所(宮武工業株式会社)は作業内容不適による不採用であつたものの、他の一か所(株式会社大沢製作所)は自らの落度によりせつかくの採用を取り消され、他の二か所(中央発送株式会社及び日駐不動産株式会社)では全日自労との労働協約の締結などを要求したため不採用となつたものであり、さらに、就職指導措置の指示を受けた後においても、紹介を受けた三か所のうち二か所(永田精機株式会社及び株式会社協力会)において全日自労との労働協約の締結を要求していることが明らかである。そして、右事実と成立に争いのない乙第九号証、証人吉田昭一の証言(第二回)及び原告本人尋問の結果を総合すれば、当時全日自労では、旧職安法に基づく就職促進措置が失対事業及び全日自労から失対労働者を離脱せしめる不当な施策であるとの立場から、所属組合員が右措置により就職先を紹介された場合の心構えとして、全日自労組合員としての地位、活動を保障すべきこと並びに自己の労働条件について全日自労と労働協約を締結すべきことなどを紹介先会社に要求するよう指導しており、本件の原告もこれに従つて前記のように面接時に労働協約の締結などを要求したもので、この要求は、原告にとつて相手方しだいでは特に固執しなくてもよいといつた弾力的なものではなく、是非とも貫徹しなくてはならないものであり、紹介先会社がこれを受け入れてくれなければその会社には就職しないというのが原告の考えであつたことが認められる。これを動かすに足りる証拠はない。

ところで、全日自労が労働組合としての資格要件を具えている限りは、その所属組合員の就職先会社と労働協約を締結することができるものであり、また、当該組合員が右会社に対して全日自労との労働協約の締結を求めることも、もとより許されるところである。しかし、他方、右会社が右労働協約の締結に応ずるかどうかは団体交渉の問題であつて、法律上これが義務づけられているわけではないし、また、わが国の現状において全日自労と各会社との間で労働協約を締結するのが一般的慣行にまでなつていると認めるべき資料もない。したがつて、本件において、原告の紹介先会社が原告の労働協約締結の要求を受け入れ難いものであるとしたことをもつて不当であるということはできない。原告としても、少なくとも就職指導措置の指示を受けた段階では、先の中央発送株式会社及び日駐不動産株式会社の事例から、自己の右要求が容易に受け入れられないものであることを知つていたものと認められる。

そうであるとすれば、原告が、自己の労働者としての利益を守るために必要であるとして紹介先会社に労働協約の締結を要求し、これに応じてもらえない限り右会社には就職しないとの態度をとること自体は、原告の自由であるが、その自由を行使することと、そのような態度に対する評価とはおのずから別であり、就職指導措置の指示を受けたことにより自ら進んで速やかに職業につくよう努めるべき立場にある原告が紹介先会社において応諾義務を負わない右のような要求に固執すれば容易に採用されないであろうことを経験上知りながら、右指示後の紹介先である永田精機株式会社及び株式会社協力会においてもあえて同じ態度に出たことは、速やかに進んで就職をしようとする具体的意欲を欠くことの顕著な徴表であると認めざるを得ない。

これに加え、原告は、株式会社協力会の面接に際し、就職の希望があれば会社に連絡するようにいわれながら、何ら連絡することなく放置したため、就職を希望しないものとして扱われたことは、前記のとおりであるが、これまた、先に株式会社大沢製作所の事例があることに徴し原告の就職意欲を疑わせるものというべきである。

結局、本件においては、前記2で述べた従前の就職活動の経過をも併せ勘案すれば、原告に対して就職指導措置の指示がなされた後の永田精機株式会社及び株式会社協力会における原告の就職活動状況は、自ら進んで速やかに常用雇用の職場に就職しようとする意欲が認められないものというほかなく、旧職安法二七条二項所定の認定取消事由である「誠実かつ熱心に就職活動を行なつていない」場合に当たるとすべきである。もつとも、同法施行規則二〇条三項は「誠実かつ熱心に就職活動を行なう意欲を有すると認められること」を措置対象者の認定の要件と定めているので、原告も措置対象者の認定を受けた当時は就職意欲を有するものとされていたことになるが、このことは何ら以上の判断を妨げるものではない。また、同法の就職促進措置の制度は、中高年齢の失業者その他就職が特に困難な失業者の就職を容易ならしめるため、右措置の指示を受けた者に対しては手当を支給しながら職業紹介や職業訓練などをするという特別の制度であることにかんがみれば、原告の前記の態度を理由として制度の適用を排除したからといつて、原告に保障された自由ないし基本権を侵したことになるものでないことは、当然である。

本件処分に原告主張の事実誤認はない。

三 つぎに、本件処分が失対事業を縮少廃止し全日自労を破壊するという不当な目的をもつてされたものか否かを検討する。

いずれも成立に争いのない甲第一ないし第五号証、第一〇号証、第二一号証の一、二、第二二号証の一ないし五、第二三号証の一ないし三、第二四ないし第二八号証(第二四、第二五号証は原本の存在も争いがない。)、第二九号証の一、二、第三〇号証、第三一号証の一、二、第三二号証の一ないし三、第四一ないし第四三号証、第四八号証、乙第八ないし第一〇号証、第一一号証、証人吉田昭一の証言(第一回)により真正に成立したと認められる甲第一一ないし第一六号証及び証人初田一夫、同太田知量、同吉田昭一(第一、第二回)、同酒井謙弥の各証言によれば、戦後の失業者の大量発生という事態に対応して失対事業制度が設けられ、大きな役割を営んできたところ、昭和三〇年以降の高度経済成長期には、総数で見る限り人手不足といつてよい状態が生まれてきたものの、中高年齢者層に限定すると就職は必ずしも容易ではなく、この頃の失対事業は継続在籍期間の長い就労者や高齢者、婦人労働者の占める割合が多くなつていたこと、このような状況下の昭和三八年に失対法と職安法が改正され、中高年齢者等の就職困難な失業者の就職を容易にするために就職促進措置の制度が新設され(旧職安法第二章の二)、また、これとともに、失対事業に就労するには、右就職促進措置を受け終わり、引き続き誠実かつ熱心に求職活動をしているものでなければならないとされた(失対法一〇条二項)こと、右改正法施行後しばらくの間は、就職促進措置を受けて就職する者も相当あり、制度の目的に沿つた一応の効果があがつたとみられたが、昭和四二、三年頃からは、就職促進措置制度の運用をめぐつて労働行政当局と全日自労との間の激しい対立が表面化し、全日自労の組合員又はこれと同道して公共職業安定所に来所した失業者に対し就職促進措置の申請書が交付されなかつたとか、その申請が受理されなかつたとかの紛争が発生した地域もあつたこと、この対立は、総数としての求人数が求職数と同程度あるのであるから、失対事業就労者でも就職の意欲がある者であれば就職促進措置の強力な実施を得て常用雇用の職場に就職することができるはずであるとする労働行政当局と、少なくとも失対事業より労働条件が良いところでなければ就職をする必要はなく、もつと自由に失対事業に就労することが許されて然るべきであるとする全日自労とのそれぞれの就職促進措置制度についての基本的な考え方の相違や、手当の支給その他の労働条件の改善がなされてきた失対事業の現実の労働環境と、就職促進措置制度に基づく紹介により中高年齢者が就職可能な職場の労働環境との比較についての両者の評価の相違などに由来するもので、全日自労としては、右制度が中高年齢失業者を失対事業から離脱させ労働条件の劣悪な零細企業に再配置することを図るとともに、全日自労の組織の弱体化することを狙つたものであるとして、右制度の骨抜きを目的とした反対闘争を展開したこと、以上の各事実が認められる。

本件処分は、時期的にみると、就職促進措置の運用をめぐつて労働行政当局と全日自労とが右のとおり激しく対立していた昭和四四年になされたものであるが、原告の場合には、前述のとおり、申請不受理ということはなく、措置対象者の認定、就職指導措置の指示と順調な経過をたどつていたものである。しかも、証人石橋清弘(第一回)の証言により真正に成立したと認められる乙第四号証及び証人石橋清弘(第一回)、同吉田昭一(第一回)、同佐藤安廣の各証言によれば、池袋職安は、原告から昭和四三年一二月に求職申込を受けて以来原告に対し十数社の就職先を紹介しており(うち措置対象者の認定後のものは前記の七社である。)、それらは原告の希望や条件を考慮したものであることが認められる。これらに照らすと、池袋職安所長が、就職促進措置制度の運用をめぐる全日自労との対立を背景に、全日自労を破壊し失対事業制度を縮少廃止しようという不当な目的をもつて本件処分をしたものであるとはたやすく認め難いところであり、前掲各証拠中右の点に関する原告の主張にそう部分は採用することができない。他に右原告の主張を認めるに足りる的確な証拠はない。

四 そうすると、本件処分に原告主張の違法は認められないから、その余の点に触れるまでもなく、原告の請求は理由がないというべきである。よつて、これを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(別紙)省略

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